
春というのは、こんなに駆け足なものだったか。待ちわびた期間のほうが圧倒的に長くて、やっと訪ねてきてくれたか、と気を抜いたとたん、もう行き過ぎようとする素振りを見せる。気まぐれな恋人のよう。
そのときにできることを、心置きなくしてみようと思う。いつの頃からか時間が有限であることに気づき始めたから。具体的には、過ぎ去った時間の中でのささくれのような後悔とか、まだ訪れぬ未来に向けた心配ごととか、それらに思いを馳せるのをゆっくりと止めてみる。そしてその代わりに、今この時にひらめいたことや長年温めてきた計画を実行に移してみること、ちいさなことでもいいから挑戦してみようと思う物事のほうへと、心の舵を切っていたい。“いま”の気分としてやってみたことは、たとえば、小さなすみかのベランダに、ちっちゃな庭を作り始めたこと。これまで手に取ることがほとんどなかった作家の、エッセイを少しずつ読み始めたこと。このところ新たに発見したことは、60年ほど前のボサノバのアルバムを聴き始めたら、自分がご機嫌でいられることに気づいたこと。親戚の庭に、見事なカイドウの木やモッコウバラがあったこと。など。農園仕事の合間合間に、“いま”の気分を私に問うたり、自分を掘り起こす時間や周囲のひとと向き合う時間をゆったりと持ったりすることができれば、初夏に向かっていくこの日々も、なにかちいさな発見で満ちていくのではないか。