それまで1960年代の音楽、それもフォークソングとは無縁だった自分が、あのパンデミックが始まる前の6、7年くらいの間、彼らの音楽と向き合っていた時期があった。
ひょんなことから、叔父が中心となって活動していたアマチュアのグループで歌い始めることになってしまったのだった。が、それは自分自身何かに没頭したい、昔みたいに日々の暮らしの中に音楽があったらどんなにいいだろうと考えてもいた頃のことだったので、無謀な挑戦とはいえ幸運なきっかけであり変化だった。
そこで取り上げていたのがPeter,Paul and Maryだった。彼らの曲に関して予備知識のない私が最初にすることは、取り組む曲の歌詞を一曲ずつ紙に書きだすことだった。それが終わると、原曲を聴き込みながらブレスやらアクセントやら、こんなふうに、と思うことも書き込んでいく。もっと大切だったのは詞の持つ意味や曲の背景を探っていくことで、これはとても興味深いことであり、半世紀以上前の彼らの曲の内容がいまも普遍的で、変わらぬ輝きを持っていることに気付かされた。当時もうMaryは居なかったけれど、彼女の声はいつも私の近くにあった。
Peter,Paul and Maryの音楽たちは、私をいろいろなところへ連れて行ってくれ、またいろいろな人たちと出逢わせてくれた。あのとき「おまえちょっと来て、歌ってみろ」という叔父のひとことがなかったら、あの日々もいまに続く時間も、存在していなかった。あれから、自分の人生や暮らし方ががらりと変わり、あの部活動のような日々からずいぶん時間が経ったように感じる。2025年、新たな年を迎えて10日近くが経った頃、Peterの訃報が届いてしまった。
雪が静かに降っている。それでも、暖かくなってくれば雪は解け、また芽吹きの季節が訪れるように、彼らの音楽は繰り返し地に根を張ってゆく。