乾いたパイが好きである。乾いた、というのは、ニュアンスが伝わるかわからないけれど、焼きあがったパイ全体に掛けられたつやだしの甘いジャムや、過度な甘みがない、さらりとしたシンプルなパイであること。それはどこか、最中を楽しむのと似ている。傍らにはなにか飲み物があってほしい。その時の気分で、ちょっと苦めの煎茶でもいいし、濃い目に淹れたあつあつのほうじ茶でもいい。
「乾いている」からと言って、フィリングがぱさぱさなのは、ちょっといただけない。フィリングは、ちょっととろみがついているか、みずみずしさがちゃんとあって、あまり手をかけすぎていないぐらいのがいい。パイ皮に口の中の水分を持っていかれながら、フィリングの、素材感あふれる味わいを楽しみたい。
秋の農園仕事が一段落したあたりに、首都圏へちっちゃな旅をした。それは「パイをめぐる旅」を兼ねたものになった。とにかく世の中で供されているパイを、できるだけお店のテーブルに向かい、いすに座って食べてみたいと思ったからだ。1泊2日の日程の中で、何箇所かの喫茶店やカフェなどを回ることができた。目の前に運ばれてきた、お皿の上のパイとじっと向き合う。フォークを手にとる。そして口に運ぶ。ブルーベリーとシナモンとの取り合わせやバランス、ジューシーなフィリングとは何か、添えられたアイスクリームや生クリームの分量や状態、だったりを考える。すると、それぞれの店々のメニュウを味わいつつも、いつのまにかそれは自分と対峙する時間になっていた。「わたしはなにをつくってみる?」そして、ぽこんぽこんと浮いてきた答えというのは「自分の作りたいものを作ろう」ということだった。
さて、ことしの大晦日も身内が集まって賑やかになりそうだから、その時のデザート用として、さつまいものパイを作る事にした。さつまいもは農園のすみっこの日当たりのよい畑で育ったもので、大きさこそ不揃いだけれど、収穫後の数か月間、暖かい場所で保管したおかげか、じっくりと甘みが増しているのが何とも心強い。試しに一台焼いてみようと思い立つ。厚めの輪切りにしてせいろに並べ、蒸しあがったら粗くつぶす、裏ごしはしない。このほうが口当たりが面白いし、素朴な味を楽しめるような気がするし、なにより手間をかけないというのが私にとっては重要。甘さは合格。カルダモンかクローブか、少し入れてみればもっとはっきりとした味になりそうだ。時々思い出したように、年の瀬にもパイの旅は続く。